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最高裁判所第一小法廷 昭和26年(あ)2592号 判決 1957年2月14日

主文

原判決を破棄する。

本件を東京高等裁判所に差し戻す。

理由

弁護人清瀬一郎、同内山弘、同大竹武七郎、同石塚誠一、同小竹勝、同内藤惣一、同小石幸一、被告人近藤勝太郎、同小島敏雄、同近藤糸平、同吉野信尾の上告趣意について。

職権をもって調査すると、当裁判所は次の理由により原判決には判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認の疑があって、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものと認める。

一、第一審判決は、被告人近藤勝太郎、同小島敏雄、同近藤糸平の三名は共謀の上、昭和二三年一一月二九日午後八時過頃当時静岡県磐田郡幸浦村湊松野萩原幸太郎方で、同人等所有の現金約七万円、衣類二〇数点、中古黒塗男女兼用自転車一台を強奪し、被告人吉野信尾は、右強奪品中現金を除いた物品をその賍物であることの情を知りながら買受けた旨の犯罪事実を認定した。しかるに、原判決は、第一審判決が本件被害現金額を約七万円と認定したのは、事実誤認と認めなければならないといっている。残る衣類二〇数点、中古自転車一台については、これを被告人吉野信尾に売渡した旨の被告人勝太郎、糸平、敏雄等の供述並びにこれを買受けた旨の証人吉野千枝子の供述がない訳ではないが、被告人吉野方からは該物品と確認しうべきものが発見されていないし、また、同被告人がこれを如何に処分したかについては明確な証拠が見当たらない。従って、原一、二審の審理の程度では前記供述を信用してよいかどうかについて多大の疑問が存する。

二、第一審判決は、被告人等が判示年月日生れで、判示冒頭記載の経歴の者であるが、第一、被告人近藤勝太郎、同小島敏雄の両名は、常日頃賭博に耽ってその資金に窮しており、また、被告人近藤糸平は、妻子六名を抱えて日頃から生計に窮して居って、いずれも、金銭を欲しく思っていたところから、右被告人等三名は、昭和二三年一一月二五日頃から同月二八日頃までの間肩書居村湊内で寄々協議を遂げた結果共に同村内で相当現金を蓄えて居るとの噂のあった同村湊松野に居住し、甘藷飴等の製造販売をして居る萩原幸太郎(当時三四年)方に入って金品を強奪しよう、然し近所の事で顔見知りである関係上若し犯行発覚の虞があったらこれを防止するためには右幸太郎一家を鏖殺するのも已むを得ないと相談が纒まり、げんに右幸太郎一家を殺害して金品を強奪しようと共謀した旨認定し、さらに、第四、被告人近藤勝太郎は、同年七月頃静岡県磐田郡幸浦村湊二〇番地近藤糸平方において同人所有の銀側懐中時計一個を窃取したと認定した。しかし、大正一四年六月二六日生れの判示経歴を有し判示第四の日時頃、同判示のごとき窃盗をした被告人近藤勝太郎と明治三六年五月二四日生れの判示経歴を有し判示第四のごとき窃盗の被害を受けた近藤糸平とが判示第一の日時頃同判示のごとき動機からたやすく同判示のごとき強盗殺人の共謀をするものであろうか。多大の疑問なきを得ない。そして、原一、二審の挙げた証拠並びに説示によっては未だ右の疑問を解消して前記共謀の事実を確認するに足りないと思われる。

三、検察官の昭和二四年二月一四日附検証調書及び添附の図面、写真(記録一冊三一二丁以下)、医師山田迪の鑑定書(記録一冊二九二丁以下)医師古畑種基の鑑定書(記録一〇冊六八七丁以下)、押収品(証一号乃至三九号)等によれば、被害者の殺害された当時の服装、殺害の手段方法、屍体の始末等がほぼ判明し、ことに第一審判決に引用されている綿平織黒色たすき様布紐(証第八号及び証第一九号)、木綿紫色布紐(証第三四号及び第三六号)及び被害者萩原幸太郎の手を縛ったものと見られるいちびの紐(証第一二号)等が押収されている。しかるに、これらの押収品の出所、その結方の特徴と犯人との関係等につき未だ納得するに足りる審理が尽されているとは思われない。

よって、弁護人並びに被告人の上告趣意についての判断を省略し、刑訴四一一条三号により原判決を破棄し、同四一三条本文により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 真野毅 裁判官 斎藤悠輔 裁判官 入江俊郎)

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